カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira- |
by vadiacao カテゴリ
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【訳出済み】
次回の単語テスト範囲は17ページ真ん中の「respectivos estados」まで。 カポエイラ・ヘジオナウの創始者メストリ・ビンバは1954年にバイーア知事のジュラシーマガリャゥンエスと共和国大統領ジェトゥーリオ・ヴァルガスにデモンストレーションを行っている。ヴァルガスは、カポエイラが洗練されたのを見て、「ブラジルの純粋な国家的スポーツ」だと断言した。この言葉にもかかわらず、カポエイラのブラジル性とアフリカ性をめぐっては依然議論が続いていた。それぞれに起源をめぐる伝説が創造され、歌や動きを通じてホーダの中で広まっていた。 そもそもの居場所であるホーダ以外でのパフォーマンスは、より多くの大衆の注意を引くため、カポエイラのイメージアップのために重要な宣伝手段になった。しかしながらカポエイラはさほど歓迎されないながらも社会の中で進化していき、その必要な環境を確実に確立していった。 黒人の漁民や労働者たちが集まる港湾地区は、「ヴァジアソン」の盛んな場所のひとつだった。港はカポエイラと海とのつながりを象徴している。海は奴隷化されてブラジルにつれてこられたアフリカ人たちが大西洋を渡った遠い記憶の場所だ。 サルヴァドール、リオ、レシーフェといったブラジルの古い港湾都には多くのアフリカ人たちが運び込まれ、黒人色の強い文化が育った。こういった都市におけるカポエイラは、植民地時代、帝政の終焉、第1共和制を通り抜け、それぞれの時代に特有の文化表現として歴史に刻まれている。 バイーア、リオ、ペルナンブーコは伝説的なカポエイリスタたちを育んだ。その中でバイーア人だけがメストリの役割として重要性を獲得し、ホーダにとって欠くことのできない存在となった。知恵の源泉としてメストリは儀式を執り行い、伝統を伝え、教えを与え、遊びを演出し、カポエイラと実社会との中心的な橋渡し役となった。 カポエイラのメストリは、ブラジルに根付いたアフリカ伝統社会の文化遺産を継承する場としてホーダを取り仕切る。その場とは、植民地時代においては奴隷たちの抵抗手段として決定的な役割を果たし、今日でも黒人文化の重要なシンボルであり続ける、ダンスに見せかけた格闘術を媒介にして形作られた場である。
by vadiacao
| 2010-06-16 00:58
| カポル語道場
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