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カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira-


パポエイラとはカポエイラに関するパポ(おしゃべり)のこと。このホーダにはカポエイラに関心のある人なら誰でも参加できます。いちおう管理人としてグンガは久保原が担当してます。Ie~~
by vadiacao
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『Na roda da capoeira』 11

【訳出済み】 次回のテストは9月5日の勉強会です。リスニングはこれまでのNHKニュースに代わってメストリのDVDを取り上げます。できれば家で予習がてら何度も聞いてきてください。

 長く見えるけど、写真だらけだからね。意味のまとまりも考えて、30ページの「apos o ritual」まで。

『Na roda da capoeira』 11_f0036763_21141720.jpg

カポエイラは口が食べるすべてのものだ
「カポエイラは口が食べるすべてのものだ」とはメストリ・パスチーニャの言葉だが、当時のカポエイラを取り巻く環境から情報や影響を受けながら成長していく、きわめて人肉食的な感覚の表現でカポエイラを定義したものと解釈できる。
 このフレーズはまたカポエイラと食べ物を関連も表している。教会の教区のフェスタで行われるホーダでは、カポエイリスタたちの多くはカトリックやカンドンブレの聖人やオリシャーの信奉者であったため、特定の日や特定の祭りで食べ物のお供えをした。

『Na roda da capoeira』 11_f0036763_211617.jpg

 この伝統のもっとも顕著な例は、メストリ・クリオーがコスミとダミアゥンの日にふるまうカルルだ。クリオはカトリックのカレンダーで定められた9月27日に祝う代わりに、自らのアカデミア(Escola de Capoeira Angola Irmaos Gemeos)の創立日である1月26日にそれを行う。アカデミアにつけられた名前や祭りの開催は、メストリの聖人に対する信仰を表している。その信仰は、彼が自分に双子の兄弟と双子の息子がいることに基づいたものだ。
 宗教的なものだけでなく、ホーダの中で食べ物は参加者の誕生日やその他の重要なイベントでもふるまわれる。たとえばリオのドゥーキ・ジ・カシアスでメストリ・フッソが行っている「Roda livre」ではシュハスコをするのが伝統になっている。サンタ・テレーザのメストリ・ジョゼ・カルロスは、カポエイラとアフリカの食事を関連付けてシシン・ジ・ガリーニャをふるまう
『Na roda da capoeira』 11_f0036763_21161846.jpg

 バハ・ダ・チジューカのグルーポ・センザーラの「バチザード(腰帯を授与する儀式)」では、招待者たちに果物がふるまわれる。このようにたとえlaicaなお祝い事であっても、宗教的な性格が完全に失われてしまっているわけではない。それはカンドンブレの儀式においても同様で、食べ物は儀礼の後にふるまわれるからだ。

O ritual das rodas
 どのようなスタイルであれカポエイラのホーダはビリンバウの音色で始まり、それに歌が続く。カポエイラ・アンゴラでは、ホーダを始める歌はラダイーニャだ。ラダイーニャが響き渡る間、二人のプレーヤーはビリンバウの足元にしゃがんで、静かに耳を傾ける。歌の内容は、アフリカの神話、伝説的なカポエイラ、聖人やオリシャなど宗教的なテーマから日常的な出来事、警察の抑圧など多岐にわたる。

ladainha

上のようなふるいラダイーニャは通常作者は知られていないか、せいぜい非公式に誰かが作者として名乗り出るかだ。さらに多くの場合、その歌詞も固定したものではなく、様々なヴァリエーションが見られる。厳密には宗教的な歌ではないにもかかわらず、その特徴的なトーンは祈りを連想させる。事実その最後には次のような礼賛のフレーズが続く。「もっとも偉大なのは神だ、私の師匠よ、私に教えてくれた人よ、カポエイラよ」。これらが終わるとしゃがんでいた二人は祈りを捧げて、ジョーゴをはじめる。

by vadiacao | 2010-09-29 01:29 | カポル語道場
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