カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira- |
by vadiacao カテゴリ
全体 パポエイラについて カポエイラ全般 音楽(歌・楽器・CD) カポエイラの技術 レッスンの感想・提案 ホーダについて カバッサ栽培日記 カポエイラ探検隊 カポル語道場 イベント情報 ヴァジアソンの練習 サンバ その他・雑談 以前の記事
リンク
|
【訳出済み】
テストの範囲は24ページ、下から6行目の「na Bahia」まで。 犯罪化の数年後、とくに1920年代以降、カポエイラはブラジル社会に吸収され始めた。そういう社会化の課程が、カポエイラの最初のアカデミーの出現など、多くの変革をもたらすことになる。 カポエイラのアカデミーを最初に作ったのはメストリ・ビンバで、1932年にサルヴァドールのエンジェーニョ・ヴェーリョ・ジ・ブロッタス区に作ったものだった。1937年ごろ彼のアカデミーは政府の正式な認可を受ける。教育・健康局と社会福祉局はそのアカデミーをCentro de Cultura Fisica e Capoeira Regionalという名称で体育教育の学校として登録した。そのスポーツ性と戦闘性を強調した形で。1941年にはメストリ・パスチーニャがCentro Esportivo de Capoeira Angolaのカポエイラ・アンゴラの教えを公認させた最初の人物となった。 メストリたちと様々なスタイル カポエイラにはひとつの歴史的な区切れ目がある。1928年にメストリ・ビンバが当時は「luta regional baiana」とよばれていたカポエイラ・ヘジオナウを創出し、伝統的なカポエイラを打ち砕いた。それに対しカポエイラ・アンゴラのメストリたち、とくにメストリ・パスチーニャは、カポエイラ・ヘジオナウの中に取り入れられたほかの格闘技の要素、柔術、バトゥキ、その他のアフリカ系格闘技やダンスの影響に対し、自らの伝統を回復した。 パスチーニャのもうひとつの目的はカポエイラを社会的に認知させることにあり、カポエイラを「生涯のスポーツ」と呼んでそのスポーツ的な特性を否定しなかった。それでありながらそのアフリカ性にこだわった。それに対しビンバは、黒人文化の影響を否定しなかったものの、カポエイラはブラジル、とくにバイーアで誕生したものだと主張した。
by vadiacao
| 2010-08-31 23:47
| カポル語道場
|
最新の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||