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カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira-


パポエイラとはカポエイラに関するパポ(おしゃべり)のこと。このホーダにはカポエイラに関心のある人なら誰でも参加できます。いちおう管理人としてグンガは久保原が担当してます。Ie~~
by vadiacao
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『Na roda da capoeira』 14

【訳出済み】 次回(10/3)のテスト範囲は36ページの「a origem da capoeira」までです。

『Na roda da capoeira』 14_f0036763_1383865.jpg
 カポエイラの都市 
 リオ、バイーア、レシーフェは、アフリカからつれてこられた黒人奴隷の文化が色濃い港湾都市だ。カポエイラは、ブラジルの古い都市で発達した文化現象だと考えられている。

 リオでは、1890年共和制の初期に署長サンパイオ・フェハイス率いる警察たちの厳しい迫害を受けた。カポエイラは刑法の中で犯罪と規定され、それを行った者たちはフェルナンド・ノローニャ島に流された。

 カポエイラたちはリオの市民たちに恐れられていた。彼らはマウタと呼ばれるグループを形成し、商業の利権や選挙区をめぐって縄張り争いを繰り広げていた。カミソリや棍棒を見せびらかし、公共の治安を脅かしたとして訴えられる者たちが、警察の書類に頻繁に登場する。
『Na roda da capoeira』 14_f0036763_1395331.jpg
 この時代には、マンドゥーカ・ダ・プライアやプラタ・プレッタといった有名なカポエイリスタたちいた。後者はヴァシーナの乱のリーダーの一人だった。それは1904年にサウージ区で起こったヴァリオーラの予防接種義務化に反対する民衆の蜂起だった。

 バイーアではカポエイラは都市や町の地域文化の一部となった。その遊戯的な側面は儀礼化され、楽しいゲーム、あるいはヴァジアサゥンとencenadaされるようになった。ビゾウロやシリ・ジ・マンギ、メストリ・パスチーニャ、メストリ・ビンバといった名前は伝説化され、今日まで彼らの業績はホーダの中で歌い継がれている。

 レシーフェにもナシメント・グランジのような伝説と化した荒くれ者のカポエイラがいた。リオのようにペルナンブーコでも厳しい取締りが行われた。さらにメストリ・サーラやポルタ・バンデイラのダンスを通じてリオのカーニバルに影響を与えたのと同じ形で、ペルナンブーコの首都でも似たことが起こった。カポエイラはフレーヴォのステップの創造に重要な影響を与えたのだ。しかしながらブラジルの最も古い港湾都市の文化形成に密接なかかわりを持つというだけでは、カポエイラの起源を説明するには不十分だ。


Os mitos de origem
 神話とは多くの場合、ある出来事の誕生の瞬間について説明しようとする物語だ。カポエイラの場合についても、起源をめぐる語りはアフリカとブラジルの間を揺れ動き、論争の多い語源学の議論を見ることができる。

 カポエイラという語を、トゥピ語の「低い林」という言葉に結び付けるのは一般的だ。起源についてのひとつの説によると、ゲームの名前はこの林から来たという。そこへ奴隷たちが逃げ込んで、その中の空き地でカポエイラをしたという。またそこにおいてカピタゥン・ド・マトという追っ手を迎え撃ったと信じられている。 

by vadiacao | 2010-10-31 20:14 | カポル語道場
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