カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira-


パポエイラとはカポエイラに関するパポ(おしゃべり)のこと。このホーダにはカポエイラに関心のある人なら誰でも参加できます。いちおう管理人としてグンガは久保原が担当してます。Ie~~
by vadiacao
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あなたのカポエイラはどれですか? ⑤

第3幕

アンゴラ、ヘジオナウの復興期 80年代

f0036763_11292340.jpg■アンゴラ、ヘジオナウを押しやるパワーを持った新しいカポエイラが起こったのがリオ、サンパウロを中心とした南部の大都市であったならば、アンゴラを復興する動きもまたリオで始まりました。ここで決定的に重要な役割を果たしたのが、メストリ・モライスです。彼は8歳でパステーニャのアカデミアに入門し、主としてジョアン・グランジにカポエイラを学びました。1970年ごろからリオに滞在していたモライスは、1980年、GCAP【Grupo de Capoeira Angola Pelourinho】を立ち上げます。リオに何人かのメストリを残し、82年にサルヴァドールに戻ったモライスは、弟子のコブリーニャ・マンサとともに古いメストリたちにカポエイラに戻るよう働きかけました。当時、多くのメストリたちは、カポエイラを離れ、貧困の中にその日を食べつないでいたのです。ジョアン・グランジがコブリーニャの強い説得に折れて、カポエイラのレッスンを再開したのは1984年のことでした。

■攻撃性の強いカポエイラがもてはやされた当時にあって、カポエイリスタたちの間には「アンゴラは女のするものだ」「ホーダでアンゴレイロの頭を踏みつけてやる」というような雰囲気があったそうです。ここには「アンゴラは非力で、床を這いつくばるもの」という明らかな偏見が見て取れます。このような中でモライスは、「コンテンポラニア」と対等に戦える「強いアンゴラ」を復活させました。今日モライスやコブリーニャが厳しいハステイラを得意とするのは、このような時代の要請があったのです。アンゴラを再び認めさせるためには、実力で示すしかなかったんですね。

■ところでモライスによるアンゴラ復興の動きを、歴史のより大きな流れの中で眺めるとき、GCAPの創立とブラジルにおける黒人運動の隆盛とはパラレルの関係にあることが分かります。モライスは、当初からカポエイラのアフリカ起源性を強く主張し、被抑圧者としてのネグロの地位改善に強い関心を示しました。モライスにとってカポエイラとは、単なるスポーツではなく、先祖から受け継いだ文化の総体であり、それを通じてネグロの置かれた状況を改善していくべき手段と位置づけられました。モライスもコブリーニャも大学を出ており、もはやパスチーニャ世代の文盲のメストリたちとは違います。彼らの緻密な論理に裏打ちされた政治的主張は、並みのカポエイリスタたちでは歯が立ちませんでした。

■加えてモライスは、卓越した歌唱力、ビリンバウの腕前、そしてリーダーシップを持ちあわせていました。今日アンゴレイロが理想とする、ジョーゴ、音楽性、精神性の3拍子そろったカポエイリスタのモデルは、紛れもなくモライス以後に形成されたものです。それまではアンゴラのメストリたちの中にも、ジョーゴは巧いが、歌は歌えない、歌唱力は最高だが、ビリンバウは弾けない・・・、こういう「メストリ」のほうが実は多かったのです。GCAPの力強いバテリア構成、とくにビリンバウのパート分担やヴィオラの独特なヘピーキは、以後のアンゴラグループに決定的な影響力を持ちました。さらには手拍子をしない、靴を着用するなどといった細かい決まりまでが、あたかもアンゴラの必須条件であるかのごとく、多くのグループに共有されていきます。今日アンゴラの「伝統」と考えられている要素の中には、実はこのときにGCAPによって定められたものが少なくないのです。

f0036763_1129426.jpg■カポエイラ・ヘジオナウにも復興の兆しが現れはじめました。1986年、ビンバの息子ネネウが、フィーリョス・ジ・ビンバを立ち上げました。彼は、いわゆる「コンテンポラニア」がオリジナルのヘジオナウからはかけ離れたものであるとして、父が伝えようとした伝統への回帰を目指します。父ビンバが亡くなったとき、まだ14歳だったネネウは、本格的に父と練習した時間はわずかでした。そこでメストリ・デカニオをはじめとするビンバの初期の弟子たちに協力を仰ぎ、楽器のフォーメーションや儀礼的な側面、技の運用の仕方など、純粋なヘジオナウの復活に力を注ぎました。1994年にはフィーリョス・ジ・ビンバの中にメストリ・ビンバ基金【Fundacao de Mestre Bimba】が創設されました。

■ところでジョアン・グランジが来日した時、われわれカポエイラ・ヴァジアソンは横浜のアンゴラ・センター・ジャパンと共催で名古屋で講習会を開きました。そのときにひとりのアンゴレイロがメストリにそっと耳打ちしたのを覚えています。「メストリ、日本のカポエイラのほとんどはヘジオナウばかりなんです」。こういう見方は決して彼独自のものではありません。ブラジルにおいてもアンゴレイロたちの多くは、自分たち以外はすべてヘジオナウだと一括りに「名づけ」てしまうことが少なくないのです。それが正しくないことは上に長々と見てきた通りです。そしてこのような見方をされるのが、オリジナルのヘジオナウ復活を目指すメストリ・ネネウたちにとっては、たまらなく耐え難いものだったのですね。

■設立から20年目を向かえ、今日フィーリョス・ジ・ビンバは、すっかりヘジオナウの総本山となった感があります。毎週土曜日の午前中に行われるホーダには、白髪頭のビンバの元生徒たちが、まるで子供のようにはしゃぎながらカポエイラを楽しみに集います。しかしながらアンゴラの復興に比べると、どうしても孤軍奮闘という感じは否めません。ビンバの弟子たちの多くは、今日でも「コンテンポラニア」寄りの変化から抜け出していないからです。ごくごく単純化した表現をすれば、コンテンポラニアからヘジオナウに回帰することは、華美で無意味なアクロバットと決別することを意味します。折からのカポエイラ・ブームの中で、生徒の獲得競争という土俵に乗っている限り、「生徒を失ってでも」という覚悟ができる人はやはり多くは出てこないのでしょう。誰にでも生活があるわけですからね。「だからこそカポエイラを生計の手段にするべきじゃないんだ」と、言うのは簡単です。しかし彼らにとって職業の選択肢をめぐる現実は我々が想像する以上に厳しいんですね・・・。


<文字数の関係で次に続く>
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by vadiacao | 2006-04-09 13:28 | カポエイラ全般
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