カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira-


パポエイラとはカポエイラに関するパポ(おしゃべり)のこと。このホーダにはカポエイラに関心のある人なら誰でも参加できます。いちおう管理人としてグンガは久保原が担当してます。Ie~~
by vadiacao
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政岡さんの連載「カポエィラと私」始まります! ①

 以前このブログでも紹介させていただいた日本人カポエイリスタの大先輩、政岡勝治さんから待望の連載原稿が届きました。8回ほどに分けてブログで連載した後、「カポエイラ入門」の特集企画として改めて掲載する予定です。

 お読みでない方はまずこちら→「日本人カポエイリスタの大先輩 政岡勝治氏」

 8回分の目次は次の通りです;
1. あこがれのブラジルへ
2. カポエィラとの出会い
3. カポエィラを学び始める
4. サルバドールとサンパウロの当時の情景
5. 帰国とカポエィラとの離別
6. ある日の気付き
7. カポエィラとの再会
8. 最後に

 私もさっそく全部読ませていただきましたが、面白いです。長文ですが、一気に読めてしまいました。当時25歳だった政岡青年の期待と不安に胸踊る息遣いが伝わってきます。それにしてもよくそんな細かいことまで記憶されているなぁと感動させられました。やはり印象深い思い出をしまっておく特別の引き出しが人間の脳にはあるんでしょうね。

 そしてなにより貴重なのはメストリ・カルロス・セナとの出会いです。今日にいたるカポエイラの発展においてカルロス・セナの果たした役割は非常に重要なものがあります。しかしながらそれに見合った認知度がないばかりか、これまでブラジルのカポエイラ雑誌などにもほとんど取り上げられていないのです。これから掘り起こされなければならないメストリの一人ですね。そういう意味では、政岡さんはカルロス・セナの弟子として、いまや重要な語り部でもあります。その片鱗に触れられる私たちは幸せなんですよ。しかも日本語で、生の声を。こういう価値を認識しておくのはとても重要なことだと思います。

 さて私の前置きはこれくらいにして、さっそく1976年のサルヴァドールにトリップしていただきましょう。透き通る海、心地よく頬をなでる風・・・、アカラジェを揚げるデンデ油のにおいがしてきましたか?

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1.あこがれのブラジルへ

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 下宿近くのプライア・ダ・バッハの夕暮れ






 1976年から79年までブラジルサルバドールとサンパウロにいました。なぜいることができたかというと、大学を卒業して勤めていた総合商社の留学試験に、運良く合格したからでした。当時の日本経済は多少の景気のうねりはありましたが、イケイケドンドンの時代で就職試験も今と比べれば簡単でした。就職も複数の会社に内定をもらっている学生が多くおり、そこから最終的に自分にあった会社を決めるという、いまでは考えられないようなゆったりとした時代でした。小生の2歳上が、いわゆる団塊の世代(1947~49年の生まれの世代)であり、小生を含むこの世代は、まず何にでも向かってやろうという好奇心旺盛なひとたちが多くいました。

 入社した総合商社では語学研修制度という英語圏を除く各国の言葉を若手の従業員に学ばせ、これを各国での取引や事業投資開拓のための武器にしようという考えがありました。派遣先は、年により変わりましたが、韓国、フランス、ドイツ、スペイン、アルゼンチン、メキシコ、コロンビア、ポルトガル、ブラジル、タイ、インドネシア、台湾、香港、旧ソ連、サウジアラビア、イラン、トルコ、スエーデンなどがありました。留学期間中にどっぷりとその国にひたり、語学、文化を学び、そして人脈をつくり、将来留学先での企業活動に役立てようとする考えです。留学試験は語学別に試験があり、ポルトガル語志望で受験しました。合格したあと、本国ポルトガルもしくはブラジルのどちらで研修をうけるかとの打診がありました。当時、21世紀は大資源国ブラジルの時代であるというブラジル・ブームがあり、迷わずブラジルを選びました。

 次にブラジルのどの都市で研修をしたいかとの打診がありました。勤務していた総合商社からブラジルに研修生として派遣されていたのは、レシフェ、ブラジリア、べロホリゾンテ、フロリアナポリス、ポルトアレグレ、クリチバそしてサルバドールでした。この内、ブラジリア、フロリアナポリス、クリチバ、サルバドールは2年前の派遣留学生が帰国するので選択できるとのことでした。首都であるブラジリア以外聞いたことがない都市ばかりですので、是非リオ・デ・ジャネイロもしくはサンパウロを研修地として選びたいと申し出ました。リオ・デ・ジャネイロは世界有数の観光地なので遊んでばかりいる懸念があるから駄目、そしてサンパウロは日本人移民が多く日本語が通じるから駄目との回答がありました。それならば、北から順に各都市を2ヶ月程度で移動する、そして可能ならば研修期間の残り半年は本国であるポルトガルで研修をしたいと申しでましたが、このような浮ついたことばかり言うと留学合格を取り消すぞとキツイお叱りを受けました。研修可能な都市について社内のブラジル前研修生の話を聞きにいきましたが、『ブラジリアは未来都市を志向しているので東京と同様に生活がし易い』、『フロリアナポリスはヨーロッパ移民が多くヨーロッパの雰囲気がある』など都市によってそれぞれ特徴があり迷いに迷いました。その内一人の話が決定打になりました。『日本人がもつブラジルのイメージは、サルバドールにある』との話でした。要は、研修地をサルバドールに選んだのはあまり深く考えず、何となく決めたというのが正直な話です。深く考えず何となく決めたというのが、その後カポエィラとの出会いにもいえます。

 さて、こういった留学制度でもって海外進出の人材をつくろうとする動きが、総合商社以外にもありました。当時のサルバドールにも三井物産、丸紅、三菱商事、伊藤忠などの総合商社以外にも、新日本製鉄、旧三菱銀行、旧安田信託銀行、旧日本長期信用銀行などからの語学留学生がいました。

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 ドナ・マリーカス、セニョル・エジガーの義息の持つ、イタパリカ島の別荘で

 孫3人と左上が政岡さん(緑のシャツ)




 サルバドールでは勤めていた総合商社の前任の研修生の下宿先を引き継ぎました。ドナ・ マリーカス、セニョール・エジガーという老夫婦のマンションの一室に住み始めました。留学する前にポルトガル語は一切学びませんでした。会社の方針として、日本で事前に語学学校などで学ばせるよりも、むしろ現地で言葉が通じないショックをうけたほうが、より真剣に勉強するとの考えがあったからです。英語で何とかなるだろうと思っていたのが間違いです。下宿の老夫婦は英語が通じませんでした。会社の目論見どおり、その後必死になってポルトガル語を勉強していくわけですが、下宿に到着した最初の日の不安は今でも思い出します。老夫婦が何を言っているのかさっぱり分からない、こちらも伝えようがないのです。老夫婦がニコニコしながらコップに入った水を指しアグアというので、喉が乾いたときはアグアと言えばよい、最悪渇きで死ぬことはないなと安心しました。しかし、お腹がすいたときは何と言えばよいか、辞書を引き食べ物=コミーダと言えばよいと、こんな調子です。こんな程度では生きていくだけで苦労する、語学の勉強などとてもではない、何で少しはポルトガル語を勉強しなかったのか、ああ、日本に帰りたいと、初日で早くもギブアップ寸前でした。

 初日の夜、このような不安を抱えながらいますと、前述の日本企業から派遣中の研修生で年上のAさんが訪ねてくれました。まさに救いの神、地獄に仏です。Aさんは、翌日サルバドールの街を案内してくれることになりました。翌日は土曜日だったと思います。その時にカポエィラに出会うことになるのです。

<つづく>
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by vadiacao | 2006-04-11 15:00 | その他・雑談
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