カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira-


パポエイラとはカポエイラに関するパポ(おしゃべり)のこと。このホーダにはカポエイラに関心のある人なら誰でも参加できます。いちおう管理人としてグンガは久保原が担当してます。Ie~~
by vadiacao
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『メストリ・ジョアン・ピケーノ カポエイラに捧げた人生』 

f0036763_1636391.jpg 以前、「翻訳の行方」という記事でこのブログでも紹介しましたが、メストリ・ジョアン・ピケーノが自らの生い立ちを語っている『Mestre Joao Pequeno - Uma vida de capoeira』という本の日本語版出版計画がありました。この本の編者ルイス・ノルマーニャ氏とは、電話とメールで打ち合わせを重ねてきて、私の翻訳もすでに1年以上前に送付してあるんですが、その後一向に進みません。最近では連絡も途絶えてしまっている状況です。

 そこで本書の日本語訳を、このブログで公開することにします。本来この企画の第1の目的は、メストリを財政的に支援することでした。私の仕事は完全なボランティアで、売上はすべてメストリ・ジョアン・ピケーノに送ることになっていました。その意味では、このブログで無料で公開してしまうことで、メストリにお金を送るという支援はできなくなってしまいます。しかし私としては、このまま企画倒れにしてしまうよりは、メストリも高齢ですし、その生き様をより多くの人に知ってもらうことで、間接的な支援につながればと考えています。例えば、この翻訳がきっかけで、ジョアン・ピケーノのアカデミアに行く人が増えたり、その弟子のところの生徒が増えたりという形でですね。

 ちなみに日本では、大阪のCHOCOさんのグループと東京のIUNAさんのグループがジョアン・ピケーノの系列に属しています。とはいえサルヴァドールに滞在したことのあるカポエイリスタで、サント・アントニオ要塞にあるジョアン・ピケーノのホーダに行ったことのない人はいないでしょう。多くの人が直接的間接的に教えを受けているんですね。

  メストリ・ジョアン・ピケーノは、2003年12月18日ミナス・ジェライス州のウベランジャ連邦大学から名誉博士号(doutor honoris causa)を授与されています。1996年にメストリ・ビンバがバイーア連邦大学から(没後授与)、メストリ・ジョアン・グランジが米国ニュージャージー州のアプサラ大学から授与されたのに続き、カポエイラのメストリとしては3人目になります。日本で人間国宝や名誉教授ともなれば、さまざまな講演に招待されたり、テレビに出演したりして、まず生活に困ることは無いでしょうが、ブラジルでは何の足しにもなりません。人生のほとんどをカポエイラに捧げてきた偉大なメストリも、日々のパンに困っているのが現実です。

 どなたか、今からでもこの企画をもっと有効に活かせるようなアイデアをお持ちの方は久保原までご連絡ください。いずれにしてもルイスに再度コンタクトをとる必要は出てくるでしょうが・・・。


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目次

01:まえがき

04:ジョアン・ピケーノ・ジ・パスチーニャ
田舎での幼少期と都会生活

06:カポエイラ、メストリ・パスチーニャとの出会い

11:メストリ・パスチーニャの道場

13:ジョアン・ピケーノとその指導法

15:練習の手順

17:マンジンガとカポエイラにおける欺きについて

23:ビリンバウ、ラダイーニャ、コヒード

27:カポエイラで用いられる楽器

29:カポエイラの起源

31:カポエイラの美しさと護身術としての利用

32:カポエイラに対する抑圧、偏見、そして躍進

33:メストリ・ジョアン・ピケーノの信仰心

37:カポエイラ、スポーツ、競争

39:カポエイラにおける攻撃性

40:世代から世代へ、より良きものを求めて

41:人生の経験

42:いいカポエイリスタと悪いカポエイリスタ

43:メストリ・ジョアン・ピケーノの豊かなカポエイラ世界

48: 訳者あとがき



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まえがき
 この本は私が個人的に出費した自費出版物である。印刷、装丁はジョゼ・アメリコ・ジ・リマが担当した。本書出版に向けて協力を惜しまず叱咤激励してくれたモニカ(オンサ・ブランカ)とエジヴァウド・ボルジス・クルス(メストリ・ルーア・ジ・ボボ)に感謝を捧げたい。UNESP(サンパウロ州立大学)リオ・クラーロ校の生徒たちからも貴重な提案、批判をいただいた。本書はジョアン・ピケーノの一人の生徒がメストリと話をしながらまとめた「聞き書き」であり、私はそれを編集したに過ぎない。

 メストリ・ジョアン・ピケーノは、自らの人生をつづった本書の出版をとても心待ちにしていた。私は、これまでにカポエイラ・ヘジオナウ、アンゴラのほかのメストリについたこともあるが、最終的にメストリ・ジョアン・ピケーノを師匠として選んだ。

 本書を出版できたことは私にとっても大きな幸せである。私の希望は他でもない、本書の売り上げがメストリへの協力金という形で全額メストリの手に渡ることだ。自費出版の形式をとることで、版権、流通、販売をメストリのコントロール下におくことができ、増刷などの注文にもメストリ自身が直接対応できるようになる。そのため中間的な業者をいっさい排する事にした。読者の方々にお願いしたいのは、本書を欲しいという人がいる場合にはコピーなどをとらず、ぜひメストリから直接購入していただきたいということだ。メストリの不在時にはマイジーニャ夫人が対応してくれるだろう。

 メストリ・ジョアン・ピケーノは1917年12月27日にバイーア州アラシに生まれ、隣接するセヒーニャ市で洗礼を受けた。父マシミニアーノ・ペレイラ・ドス・サントスと母マリア・クレメンサ・ジ・ジェジュスには9人の子供がいる。マルチンス、ルイーザ、セシリア、ジャコー、クレト、マリア・ジョゼ、アントニア、グラシリアノ、ニシンで、ジャコーとニシンはすでに亡くなっている。

 牛飼いだった父はケイマーダス地方のヴァルジェン・ド・カント農園で働いていた。祖父はアラシに土地を持っていた。ジョアン・ピケーノが15歳になるまでは、ケイマーダスからバホッカのあたりで暮らしていた。バホッカには、洗礼親のアンジェロ・ヴァウヴェルジがいた。

 1932年、ジョアン・ピケーノが15歳になったころから周囲の生活が変わり始める。33年に父がアラゴイーニャスに移り、家族もそれについて行く。ここから先はメストリ自身の口から語ってもらったほうがいいだろう。したがって本書ではあえて「聞き書き」にあるとおり口語調の文体でまとめた。

2000年7月 サンパウロ
ルイス・アウグスト・ノルマーニャ・リマ
Luiz Augusto Normanha Lima
サンパウロ州立大学教員-リオ・クラーロ

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by vadiacao | 2006-06-22 16:37 | カポエイラ全般
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