カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira-


パポエイラとはカポエイラに関するパポ(おしゃべり)のこと。このホーダにはカポエイラに関心のある人なら誰でも参加できます。いちおう管理人としてグンガは久保原が担当してます。Ie~~
by vadiacao
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カテゴリ:カポル語道場( 36 )

『Na roda da capoeira』 6

【訳出済み】

 次回のテスト範囲は、切りのいいところで18ページ真ん中の「uma modernizacao vertiginosa」まで。
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 アフリカ的な身体文化はブラジルにおいて土着の文化に特徴付けられながら発達した。カポエイラにしても、新しい地における断絶と連続から発生したものだ。儀礼的な実践の更新や選択の中に見て取れる身体の記憶、その複合性はカポエイラのホーダの中で表現される。ここにおいてホーダは、ブラジル人や5大陸の外国人たちの様々なアイデンティティーつなぎ合わせるひとつの表現形態なのだ。

 今日カポエイラはこれまでにない国際化、世界化の波にさらされている。それはめまぐるしく変化する近代化の世界において公共政策、文化遺産、アイデンティティー、伝統といった様々な重要な問題をはらむあらたな「ディアスポラ」であるかもしれない。


Globalização na capoeira
 今日カポエイラは150以上の国々に広がり、様々な国籍の愛好家、研究者を引き付けている。民間の、あるいは政府の後押しなく進行したジョーゴの国際化は、カポエイリスタたちの移動に負うところが大きい。彼らはブラジル文化の影の「民間大使」とみなされている。

 すでに50年代、60年代の半ば、メストリ・アルトゥール・エミジオはおそらく海外に出た最初のカポエイリスタだったであろう。彼はアルゼンチン、メキシコ、米国、ヨーロッパを回りカポエイラを見せた。さらにはブラジル大統領のヴァルガスとクビシェッキ、アメリカ大統領のアイゼンハワー、ケネディに対してもデモンストレーションを行っている。

 彼に続いて1966年、メストリ・パスチーニャと彼の弟子たちがセネガルの首都ダカールで行われた黒人芸術祭に参加している。

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by vadiacao | 2010-07-04 20:57 | カポル語道場

『Na roda da capoeira』 9

 次回の範囲は、20ページの下から3行目から24ページの下から6行目「mais precisamente na Bahia」までです。


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by vadiacao | 2010-06-30 17:26 | カポル語道場

『Na roda da capoeira』 5

【訳出済み】
 次回の単語テスト範囲は17ページ真ん中の「respectivos estados」まで。

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カポエイラ・ヘジオナウの創始者メストリ・ビンバは1954年にバイーア知事のジュラシーマガリャゥンエスと共和国大統領ジェトゥーリオ・ヴァルガスにデモンストレーションを行っている。ヴァルガスは、カポエイラが洗練されたのを見て、「ブラジルの純粋な国家的スポーツ」だと断言した。この言葉にもかかわらず、カポエイラのブラジル性とアフリカ性をめぐっては依然議論が続いていた。それぞれに起源をめぐる伝説が創造され、歌や動きを通じてホーダの中で広まっていた。

 そもそもの居場所であるホーダ以外でのパフォーマンスは、より多くの大衆の注意を引くため、カポエイラのイメージアップのために重要な宣伝手段になった。しかしながらカポエイラはさほど歓迎されないながらも社会の中で進化していき、その必要な環境を確実に確立していった。

 黒人の漁民や労働者たちが集まる港湾地区は、「ヴァジアソン」の盛んな場所のひとつだった。港はカポエイラと海とのつながりを象徴している。海は奴隷化されてブラジルにつれてこられたアフリカ人たちが大西洋を渡った遠い記憶の場所だ。


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 サルヴァドール、リオ、レシーフェといったブラジルの古い港湾都には多くのアフリカ人たちが運び込まれ、黒人色の強い文化が育った。こういった都市におけるカポエイラは、植民地時代、帝政の終焉、第1共和制を通り抜け、それぞれの時代に特有の文化表現として歴史に刻まれている。

バイーア、リオ、ペルナンブーコは伝説的なカポエイリスタたちを育んだ。その中でバイーア人だけがメストリの役割として重要性を獲得し、ホーダにとって欠くことのできない存在となった。知恵の源泉としてメストリは儀式を執り行い、伝統を伝え、教えを与え、遊びを演出し、カポエイラと実社会との中心的な橋渡し役となった。

 カポエイラのメストリは、ブラジルに根付いたアフリカ伝統社会の文化遺産を継承する場としてホーダを取り仕切る。その場とは、植民地時代においては奴隷たちの抵抗手段として決定的な役割を果たし、今日でも黒人文化の重要なシンボルであり続ける、ダンスに見せかけた格闘術を媒介にして形作られた場である。

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by vadiacao | 2010-06-16 00:58 | カポル語道場

『Na roda da capoeira』 4

【訳出済み】

 次回の単語テスト範囲は、14ページの真ん中「curiosamente」から15ページの下から2行目「da capoeira angola」まで。


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メストリ・ヴァウデマールは40年代から70年代にかけてサルヴァドールの貧困地域であるリベルダージ区に重要なホーダを取り仕切っていた。そこも木の柵に囲まれ、茅葺の屋根を持った場所だった。「メストリ・ヴァウデマールの小屋」として有名になったその粗末な場所には、トライーラ、エスピーニョ・ヘモーゾ、アントニオ・カベッセイロ、ジョアン・グランジといったバイーアの伝説的なカポエイラたちに加え、カリベ、ジョルジ・アマード、エウニシ・カトゥンダ、マリオ・クラヴォ、ピエール・ヴェルジェら知識人らも集まっていた。

 同じことは、カポエイラの正式な場所であるアカデミアのホーダでも起こっていた。アカデミアは30年代に現れ始めていた。たとえばジョルジ・アマードはアンゴラの立役者であるメストリ・パスチーニャのアカデミアに通っていた。

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by vadiacao | 2010-06-03 23:49 | カポル語道場

『Na roda da capoeira』 3

【訳出済み】
 次回は13ページの最初のパラグラフ「os capoeiras antigos~」から14ページの真ん中「sair de casa」まで。


 下の写真、すっくと立った筋骨隆々のジョアン・グランジが凛々しいですね!

 白いスーツで帽子をかぶっているのがノローニャ、隣の黒いスーツがトトーニョ・ジ・マレーです。ジョアン・グランジ、ジョアン・ピケーノが出ているのに、なぜこの作品の撮影にそもそもパスチーニャが呼ばれていなかったのか?不思議ですね!


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それは遊びであったのと同時にバーの主人から酒をサービスしてもらえるためでもあった。ジョーゴが観衆を引き寄せ、結果としてバーの客寄せになったからだ。日曜日にはカポエイラたちは「ドミンゲイラス」と呼ばれる白いスーツを着た。それはミサや特別な外出用に着用された服で、しわにならないように注意深く扱われた。そういう服装でカポエイラたちは赤土の上でジョーゴをし、決して服を汚すことがなかった。まるで家を出たときと同じ真っ白でエレガントなままでいたのだった。

 興味深いことにホーダは必ずしも円形で行われたわけでもなかった。バイーアの貧しいコミュニティーでは、メストリたちは  する習慣があった。40年代当時、カポエイリスタたちはすでにサッカーチームのシャツをユニフォームとし、グループとしてのまとまりを持っていた。彼らは地域の住民ばかりでなく、知識人や芸術家たちをも引き付けていた。

 愛好者にとどまらない幅広い人々からの関心の高まりは、カポエイラのホーダを、それまで縁遠かった世界が交流し、取引を確立し、抵抗の戦略を練る場とした。

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by vadiacao | 2010-06-03 23:42 | カポル語道場

『Na roda da capoeira』 2

【訳出済み】
13ページの上から2行目までにしよう。


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 サルヴァドールではカポエイラにせよカンドンブレにせよ1920年代になって初めて迫害を受け始めた。ペドリットとして知られる騎兵隊の警察署長ペドロ・ゴルジーリョがそれを指揮していた。バイーアではホーダが遊び、余暇すなわち「ヴァジアソン」の舞台として知られるようになった。その場所はただ身体ゲームのためだけでなく、修練の場としても機能していた。ホーダでカポエイラをすることは、人生を学ぶことにもなったのだ。そのため今日においても古いメストリたちの中にはホーダの際に人生の教訓を話す古いやり方を続けている人もいる。加えてカポエイラには半宗教的な性格もある。とくに伝統的なスタイルのカポエイラにおいては、ホーダの後に食べ物を振舞うという伝統を色濃く残している。それは地域社会と交わる意味もあるが、多くの場合信者たちによってオリシャーやカトリックの聖人に捧げ物をする意味が込められている。

 宗教、食べ物、祝祭はカトリック教会の近くの広場で行われる祭りにつきものの要素だ。これらの場所でカポエイラのホーダは一般的なものになった。それはカポエイラの地域文化における統合と同時に宗教界との親和性を示している。

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 昔のカポエイラたちは常に超自然的な神秘主義に取り巻かれていた。彼らはパトゥア(中に祝詞が書かれていて危険から彼らを守る)を身につけ、マンジンゲイロとして認知されていた。マリ王国に住んでいたマンジンガ、あるいはマリンケは、13世紀にイスラム教に改宗してはいるが、信仰、呪術的な伝統の保有者として知られていた。そのためパトゥアは、「マンジンガのお守り袋」と呼ばれることもある。

 世俗的側面ももちろんホーダの構成要素だ。カポエイラたちはバーの前で「ヴァジアソン」を繰り広げた。

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by vadiacao | 2010-05-23 22:09 | カポル語道場

『Na roda da capoeira』 1

【訳出済】
 さっそく行きましょう!本文のない写真ページもアップしていくので楽しんでください。

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 カポエイラはダンスであると同時に格闘技でありゲームであり音楽でもある複合的な側面を持った芸術だ。それらの要素はホーダの中で展開される。ホーダとは、カポエリスタたちが世の中(grande roda)の仕組みを身体的、リズム的パフォーマンスを通して演出するひとつの儀礼である。

 カポエイラがいつどのように生み出されたかはよくわかっていない。確かなことはバイーアにおいてホーダが発達し、カポエイラ独自の表現形態として定着したということである。今日カポエイラは、世界中に散らばったメストリたちによって五大陸に広められ、さまざまな国籍の人々によって取り組まれている民衆文化である。

 今日の人気の高さにもかかわらず、それは必ずしも人々に親しまれてきたわけではないし、ホーダが代表的な表現形式であったわけでもない。19世紀のリオにおいてはカポエイリスタ(カポエイラ)たちはマウタと呼ばれるグループを作り、当局から厳しい迫害を受けていた。とりわけ奴隷制廃止と共和制の宣言に伴い、1890年10月11日カポエイラをすることは刑法の中に犯罪として規定されることになった。その第402条によると「路上や公共の広場でカポエイラージェンとして知られる身体運動をすること」は犯罪になった。

 バイーアの首都では状況はやや穏やかだった。その理由のひとつに、バイーア州にはカポエイラを犯罪として規定する法律がなかったことがある。そのことが遊戯性、象徴性、宗教性を併せ持った儀礼としてのホーダが発達することを可能にした。

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by vadiacao | 2010-05-17 21:23 | カポル語道場

『Na roda da capoeira』の講読会スタート

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 私が主宰しているポルトガル語勉強会の初級クラスで、とにかくボキャブラリーを増やしていこう、どうせならカポエイラに関連のある語から、ということで2008年にブラジル文化省の機関IPHAN(国立歴史芸術遺産協会)が出版した小冊子『Na roda da capoeira』を毎週少しずつ訳していこうということになりました。

 コピーして配る代わりにスキャニングしたものをブログに掲載していく形をとりますので、関心のある方は一緒にどうぞ。1週間後に私が日本語訳をのせるので、それで「答え合わせ」してください。もちろん私自身も勉強しながらなので、分からないところも多々ありますが、そこはご容赦を。

 あとポル語クラス参加者は、毎回これらのページから単語テストを行いますよ!!新しい単語は声に出して読みながら何度も書いて覚えましょう。
 
 なおこの冊子は今年3月にカンナちゃんがブラジルに行ったときにお土産に買ってきてくれたものです。ありがとう!こうして俺なりにカポエイラに恩返ししていきます!!


★ちなみにポル語レッスンは毎週日曜日の午前中に入門クラスと初級クラスを各1時間半ずつ開講しています。ここはヴァジアソン・メンバーでなくてもカポエイリスタでなくても参加できます。ちょうど連休明けの5/9からまったくポル語ゼロからの人を対象とした入門クラスがスタートします。詳しくはこちら。http://www.vadiacao.org/schedule.html#porugo
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by vadiacao | 2010-04-25 23:10 | カポル語道場

NHKのポル語ニュースを聞こう!

 ipodやウォークマンでポル語を持ち出して聞いてみましょう!

 週1回のレッスンではなかなかヒアリング特訓までできないので、耳慣らしの役に立つと思い紹介します。

 比較的聞きやすいポル語のNHKニュースです。パソコン上でも聞けるし、MP3形式でダウンロードもできますよ。ポッドキャストの配信にも対応しています。

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/portuguese/top/index.html

 ほかにもイギリスの国営放送BBCなどもポル語の放送をしているし、ブラジルのAM、FM放送もインターネット・ラジオで聞くことができますが、概して非常に早口なので初心者には厳しいです。その点NHKのほうは、アナウンサーによって多少の差はありますが、かなり聞き取りやすいスピードですよ。
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by vadiacao | 2010-03-28 22:44 | カポル語道場

シーン16 : メストリ来日対策シリーズ「日中、家で」

◆日中、家で◆

M: Nós vamos sair a que horas ?
C: Para o treino, às 5:00.
M: Certo. Tem alguma coisa para fazer antes?
C: Nada especial. Pode tar descansando aqui, ou se quiser sair, a gente sai. Se o senhor tiver alguma coisa que quer comprar, é melhor resolver logo.
M: Tá certo. Então vou descansar um pouco agora. E depois do almoço quero ver barbeador.
C: Ok. Então vamos pra Yamada Denki depois do almoço.
M: Tá. Obrigado.
C: Nada. Bom descanso.

******************************************

M: 何時にここを出るんだい?
C: 練習には5時です。
M: 分かった。それまでに何かすることはある?
C: 特にはないですよ。ここで休んでいてもいいし、出かけたければ出かけましょう。もし何か買いたいものがあれば、早めに買っておいたほうがいいですよ。
M: そうだね。じゃぁ、少し休んでから、昼食後に髭剃りを見に行こう。
C: 分かりました。じゃ昼からヤマダ電機に行きましょう。
M: うん、ありがとう。
C: いいえ、ゆっくり休んでください。

******************************************
 これまでにも何度も紹介してますが、会話では疑問詞が語末に来ることがよくあります。ここでも

Nós vamos sair a que horas ?
は、本当は

A que horas nós vamos sair ?
ですよね。

 「Tem alguma coisa para +動詞原型」は、非常によく使われる表現で、「~すべき何かがある」「~するための何かがある」という意味です。英語で言う「There is something to +動詞原型」と同じです。

 また、その後に出てくる「Se o senhor tiver alguma coisa que quer comprar」も、仮定法の形をとっているだけで、構造は同じですよ。ただしこっちは「para」という前置詞ではなく、「que」でつなぐ関係代名詞を使っています。「alguma coisa que quer comprar」で、「買いたい何か」という意味です。「o senhor」は「você」の敬称で、目上の人などに用います。

 「é melhor +動詞原型(~するほうがいい)」も、覚えておくといろんな場面で使えます。「resolver」は文字通りは「解決する」の意味で、ここでは「買い物を片付ける」という意味で使っています。

 「barbeador(髭剃り)」は、もちろん電気かみそり、正確に言えば「barbeador elétrico」のことです。ブラジル人のメストリたちが日本で欲しがる人気商品ですよ!なにかお土産にあげようというときに、もし迷ったら、これは喜ばれると思います。ただし海外でも使える電圧の「100-240v」のやつを選んでくださいね。

 「Bom descanso」は「Boa noite」とセットで、「おやすみなさい」という意味でも使えます。
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by vadiacao | 2008-10-14 10:56 | カポル語道場


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