カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira-


パポエイラとはカポエイラに関するパポ(おしゃべり)のこと。このホーダにはカポエイラに関心のある人なら誰でも参加できます。いちおう管理人としてグンガは久保原が担当してます。Ie~~
by vadiacao
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ヒョウタンのトンネル

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 今朝(2006年7月26日付)の『中日新聞』朝刊の1面に「ヒョウタンのトンネル」と題した写真が掲載されていました。

 名古屋市天白区天白町にある名古屋市農業センターに設置されているそうです。大小2つのトンネルに11種類、約500個のヒョウタンがぶら下がっているといいますから、さぞかし見ごたえがあるだろうと思います。

 名古屋に近い人はのぞいて見てください。月曜休園で8月下旬までです。
名古屋市農業センター
〒468-0021
名古屋市天白区天白町
大字平針字黒石2872-3
TEL(052)801-5221

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by vadiacao | 2006-07-26 17:33 | カバッサ栽培日記

『メストリ・ジョアン・ピケーノ カポエイラに捧げた人生』 5

ジョアン・ピケーノとその指導法
 カポエイラ・アンゴラは基本的に9つの技しかないが、その応用まで考慮すれば、数はその2倍、3倍になる。

 たとえばアウー(aú)にしても、実際にはさまざまな用い方があるのじゃ。

 またもっとも基本的な防御であるネガチーヴァ(negativa)にも、低い姿勢をとる護りのネガチーヴァもあれば、フェイントとして使う方法もある。

 ハステイラ(rasteira)には、高いものと低いものがある。

 メイア・ルーア(meia lua)には、メイア・ルーア・ジ・フレンチ(meia lua de frente)とメイア・ルーア・ジ・コスタ(meia lua de costa)がある。

 ハボ・ジ・アハイア(rabo de arraia)

 カベッサーダ(cabeçada)にも高いものと低いものがある。

 チゾウラ(tesoura)

 コルタ・カピン(corta capim)

 シャパ・ジ・フレンチ(chapa de frente)、シャパ・ジ・コスタ(chapa de costa)とシャパ・ジ・ラード(chapa de lado)。

 多くのメストリたちは、カポエイラを習う、あるいは教えるためには相手を叩かなくてはならないと言う。わしはその考えに反対じゃ。なぜなら学校がいい例ではないか。生徒を教えるときに叩くと、生徒は余計に反発する。そして学校に行くことが怖くなるのじゃ。同じことが今カポエイラの道場でも起こっているのじゃよ。

 だからわしもよく耳にするのじゃが、「カポエイラを習いたいのですけど、痛い思いをするのですか?」と聞いてくる者が多い。

 わしはカポエイラの技にいくつかのエクササイズを組み合わせて、独自の練習方法を考案した。それを行えば、どんな人でも3ヵ月後にはホーダでカポエイラができるようになる。なおかつカポエイラとはこういうものだという、基本的な理解が得られるじゃろう。もちろん経験だけはそう簡単に身に付くものではないがの。カポエイラはゆっくり時間をかけて上達していくものなのじゃ。毎日の練習の積み重ねの中で、少しずつ学んでいくのじゃ。

 メストリ・パスチーニャでさえ「まだカポエイラを学んでいる」と言っておった。いつも言うことじゃが、カポエイラを習いにやってくる生徒のうちで一番手間のかかる生徒こそ、わしにとっては先生なのじゃよ。

 練習は常に体をほぐすことから始めたほうが良いじゃろう。例えば片手を床についてもう一方の手を上に伸ばす高い体勢でのネガチーヴァをする。そのあとでアンゴラのネガチーヴァを左右行う。

 さらに起き上がらずに行う低いネガチーヴァへと進む。この動きでは片足を前に出して行うと、スムーズに次の動きに移ることができるじゃろう。つづいてココラス(cócoras)の姿勢から片足を伸ばし、両手を頭の上にあげた状態で、伸ばした足を取り替える。

 準備運動の締めくくりには、ロンダ(ronda)と呼んでいるのじゃが、生徒は一列の輪になって道場の中を走る。その円の中心に人を置いて、その人が走っている生徒に攻撃を繰り出す。走っている生徒は、それに対応した防御を行う。例えば中央の人がハボ・ジ・アハイアをしたら、走っている人は攻撃の流れに沿ってネガチーヴァをしながら床に伏さなければならない。
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by vadiacao | 2006-07-25 12:08 | その他・雑談

みがたわわに

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 ここのところの長雨でじっくり棚も見られないうちに、じつは実がなっていたようです。つかの間の晴れ間にのぞいてみて見つけました。人工受粉など何もしてませんが、見ていないだけでやはり蛾がいるみたいです。これで直径がおよそ6センチくらいです。

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 棚の下にもぐってみたら、さらに大きいのを発見。こっちは直径10センチはあると思います。グンガ級まで育つかな?日が当たらないせいか、白ちゃけています。

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 これもすでに受粉しているようですが、これから大きくなってくるのでしょうか?こういうものはまだいっぱい付いていました。これで収穫ゼロは何とか回避できそうです。

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 これはおそらく雌しべのつぼみでしょうね。

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 現在のカバッサ棚の全景。ベランダの下なので日除けにこそなりませんが、少なくとも泥棒がよじ登ってくるのを思いとどまらせる効果は期待できそうです!
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by vadiacao | 2006-07-21 17:10 | カバッサ栽培日記

『メストリ・ジョアン・ピケーノ カポエイラに捧げた人生』 4

メストリ・パスチーニャの道場
 パスチーニャの道場でまだメストリの下についていた頃、わしはいつも師範代を任されておった。パスチーニャの生徒を教えたのは実はわしなのじゃ。例えばクリオ(Curió)もわしが教えた。彼はメストリ・パスチーニャに習ったと言っているが、彼がやってきたとき、メストリはすでに盲目で体が不自由じゃった。モライス(Moraes)もわしが教えたが、彼はそれを否定しない。モライスが始めたときは、パスチーニャはまだ少しカポエイラをしておったが、モライスはまだ子供だったので、わしらが彼を教えたのじゃ。クリオは、モライスよりも早く始めたと思っているようじゃのう。

 当時わしは、カポエイラの将来性についてそれほど真剣に考えていなかった。まさか今日のような地位にカポエイラが就くとは想像もしていなかったし、わし自身が現在のような立場になるとも考えていなかった。ただパスチーニャは、カポエイラの将来はお前が担っていくのだ、といつもわしに話していたものじゃ。

 わしは一日中働いていたが、パスチーニャは、仕事はほどほどにして、もっとカポエイラに時間を割くように勧めた。将来、年をとって働けなくなったとき、お前はカポエイラを教えて生活するのだと言っていた。

 今日のわしがあるのは、わし自身がこうなろうと思ってなったのではない。わしが40歳くらいの頃、とても50歳は迎えられないだろうと思っておった。しかしもし50歳を無事に超えられたら、自分はかなり長く生きるだろうとも思っておった。実際、50歳から55歳にかけては生活、病気との闘いじゃった。なんとか生きてこられたのは、神のおかげじゃよ。

 いまじゃわしは永遠に生き続けるとさえ感じておる。永遠に生きて、ずっとカポエイラをしていきたいのじゃ。もし神がわしを次の世界にお導きになったら、カポエイラもいっしょに持っていくよ。わしとカポエイラはいつもいっしょなのじゃから、わしが行くところにはカポエイラも連れて行くのじゃ。向こうもきっと素晴らしい世界じゃろう。なによりも神の御心に従ってカポエイラをすることができ、それを教えることができるのじゃから。
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by vadiacao | 2006-07-18 15:25 | その他・雑談

カポエイラ探検隊2006隊員募集 続報

 10月に予定しているカポエイラ探検隊2006ですが、少しずつ内容を煮詰め始めています。一応、隊長(久保原)のブラジル滞在期間としては、10月26日から11月28日くらいの1ヶ月間になりそうです。日本の発着で言うと、10月25日に日本発で、11月30日日本着ですね。

 この間、現在の予定では、サンパウロ:10/26-11/3、リオ:11/4-11/12、サルヴァドール:11/13-11/28のような配分になります。移動のタイミングは、週末のイベントの状況によって、どこで何が行われるかを見て調節します。ブラジル国内の移動は、ブラジルの国内線専門航空会社GOLを利用します。この会社は、ブラジル国内でしかチケットを購入できませんが、他社に比べて圧倒的に安い価格で販売しています。サンパウロ-リオ間も、バスとさほど差がないくらいです。

 それぞれの都市で訪問する(したい)メストリとしては、
■サンパウロ:
メストリ・ブラジリア:隊長の師匠。カポエイラ、サンバ、マクレレなど、なんでも習えます。
メストリ・スアスナ:コルダゥン・ジ・オウロ本部道場のホーダに顔出します。
コントラ・メストリ・プリーニオ:サンパウロのアンゴラ団体です。もともとはスアスナの弟子でしたが、アンゴラに転向後はメストリ・ジョーゴ・ジ・デントロと師弟の関係にあります。
メストリ・バイシーニョ:これもイルマゥンス・ゲヘイロスというアンゴラの団体で、CDを出しているプロフェッソール・ペルナ・ロンガの親団体です。
メストリ・アウシーデス:彼のスタイルは非常に興味深いです。アンゴラともヘジオナウとも割り切れない、でも非常に美しいジョーゴです。
コントラ・メストラ・ジャンジャ:元GCAPのメンバーのアンゴラ団体です。
メストリ・カヴァコ:サンパウロのビリンバウ職人として定評のあるメストリ。カポエイラ・アンゴラのメストリで、ジョーゴも素晴らしいです。
メストリ・ジャイメ:パウロ・ドス・アンジョスの弟子で、アンゴラです。バイーアで捕まえるかサンパウロで会えるか、どちらかになります。最近サンパウロに新しいアカデミアをオープンしました。

ヘプーブリカ広場のホーダ、カポエイラ・ショップでの買い物、そのほかイベント、観光など

■リオ:
メストリ・フッソ:ご存知カシアスのホーダの重鎮。お宅を訪問します。
メストリ・マホン:アンゴラのいい仕事してます。
メストリ・アンゴリーニャ、メストリ・ネコ、メストリ・ジョゼ・カルロス:元GCAPのメストリたち。
ネストール・カポエイラ:さまざまな著作を書いているセンザーラのメストリ。帰国していればぜひ会いたいです。
メストリ・トニ・ヴァルガス、ペイシーニョ:グルーポ・センザーラのメストリたち。
メストリ・アレレ:彼もアンゴラでもヘジオナウでもない、非常にクオリティーの高いカポエイラです。
メストリ・アルトゥール・エミジオ:リオにバイーアのカポエイラを移植した重鎮です。体調を崩して入院していると聞いていますが、可能であれば話を聞きに行きます。

カシアスのホーダ、カポエイラ・ショップでの買い物、そのほかイベント、観光など

■サルヴァドール:
メストリ・ペレ:毎回いろんな話をします。サルヴァドールの長老の一人です。
メストリ・ネネウ:メストリ・ビンバの息子。帰国していれば練習やホーダに参加します。
メストリ・ヘネ:パウロ・ドス・アンジョスの弟子です。毎回彼とのコンタクトは欠かせません。
サント・アマロへの小旅行:メストリ・フェリペ、メストリ・マカコらからカポの歴史について話を聞きます。
メストリ・アウグスト:メストリ・クリオの弟子。第1級の研究者でもあり、いろんな人を知っています。
フレッジ:カポエイラの研究者。彼とのおしゃべりは何物にも代えがたいです。
メストリ・オラーヴォ:世界的に有名なビリンバウ職人です。彼の家の前でも毎週金曜日にホーダが開かれます。
イタパリカ島への小旅行:ビリーバ狩りか散策に行く予定です。

もうサルヴァドールについては書ききれません。常にいろんな情報が飛び込んできますし、会うべき人が多すぎるんですね。フレキシビリティー・・・、この言葉に尽きます。

 この探検隊の最大のメリットは、個人旅行ではきわめて困難な多くの貴重な出会いを、短期間で、しかも日本語通訳つきでコーディネートできるという点です。動きの練習だけなら日本でいくらでもできますが、さまざまなグループとの交流、古いメストリたちとの語らいは、本場ならではのかけがえのない経験になります。とくに高齢のメストリたちはどんどん亡くなっていきますから、「またいつか」と思っているうちに、その「いつか」の機会を永遠に失ってしまうんですね。私もすでに苦い経験があります。

 基本的にこの探検は、個人の自由旅行の寄せ集めですので、観光などしたい方は、隊を離れて自由にできます。隊員だからという理由で、現地での行動が制約されるということはまずありません。個別に用事のある方は、随時、別行動/合流が可能です。逆にとことんカポエイラ漬けになりたい人は、道中、機内のパポエイラ(カポエイラに関する会話)を含めて、どっぷりとカポエイラに浸れますよ。もちろん、途中で「これだ」と思えるようなグループが見つかれば、そこにずっと留まって練習していることも可能です。また私が付いていけなくても、例えばアタバキを制作しているアトリエを見学したい、こういうメストリを訪ねたいという隊員がいれば、その場所を紹介します。

 この探検活動に参加してみたいという方は、とりあえず一報ください。今のところ2名の参加希望者が出てきていますので、まだ数名入れます。私のチケットはすでに予約を入れてありますが、同じ航空会社でチケットを確保できない場合は、同じ日の別の航空会社を利用して、サンパウロで合流という形になる可能性があります(空港で2、3時間くらいの時間差があるだけです)。この時期はオフシーズンですが、格安のチケットから先に売れていきますので、早ければ早いほどお得にご提供できます。参加費については、参加期間や合流方法などによって変わりますので、詳細はメールでお問い合わせください。liberdade@syd.odn.ne.jp(久保原)まで。

 ちなみに7月14日現在、今すぐお申し込みいただいた場合の参考価格としては、185,000円くらいです(参加期間2週間、日本-ブラジル往復航空券、サンパウロ1週間の宿代、メストリ・ブラジリアのアカデミア1週間通い放題券、探検のコーディネート料を含む。リオへの交通費、リオでの滞在費などは含みません)。現地でホーダに飛び入りしたり、練習に参加させてもらうのにお金がかかるかどうかはケース・バイ・ケースです。それこそ隊長の交渉力の発揮どころなんですが、かかったとしてもわずかな金額です。現地のブラジル人たちが払う以上の金額を吹っかけられたりということは、私が付いている限り決してありませんので、ご安心ください。
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by vadiacao | 2006-07-14 11:55 | その他・雑談

職人生活

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 明日巣立っていくビリンバウたちです。

 いい感じのメジオを3本仕上げました。

 白く包帯を巻いたように見えるのは、飛行機で運んだときの気圧の変化で入ったひび割れを補強したものです。ヴェルガの縦ひびは、音質には基本的に影響ありませんが、やはり見栄え的によくないので、ヴァジアソンのメンバー向けやグループ内で使用しています。
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by vadiacao | 2006-07-13 16:28 | その他・雑談

まだまだ成長中!

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 最近はカバッサの成長をしみじみと愛でる感動も失せてきました。それくらい、順調な成長を疑わせない勢いがあります。

 天界もご覧のようにボーボーで、まるで地上に浮いたさつまいも畑みたいです。最近は、毎朝、近所のおじさんやおばさんが散歩のついでに立ち止まっては、「よー伸びるなー」「こういうものの成長は早ーわ」と感嘆していきます。
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 唯一の気がかりは、雌しべがほとんど見当たらないことですね。雄しべはいっぱいあるんですが・・・。というわけで、つきさんにせっかく丁寧に説明していただいた人工授粉もまだしていません。蔓の勢いの割には、実の収穫はさほど期待できないかもしれません。

 もっともビリンバウ用に使うカバッサなら、ブラジルから持ってきたほうが速いし、コストも安いわけで、育てる楽しみを味わうという意味では、すでに十分堪能させてもらっています。あとは実を授かるかどうかは蛾の気まぐれに任せるのもいいかもしれません。
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by vadiacao | 2006-07-12 17:33 | カバッサ栽培日記

メストリ・ネネウをバイーアで捉まえるのは至難!!

 練習から帰ってきて、晩御飯を食べて、メールの返事などを書いたりしていると、毎日今ごろからがブラジルと交信する時間です。

 さっきもカポエイラ・ショップ ビリンバウで長らく在庫を切らしているメストリ・ビンバのCDを注文するために、メストリ・ネネウに電話をしました。先日ドイツから戻ったという情報を聞いていたからです。ところがお姉さんのナウヴィーニャ【Nalvinha】がでて、今度はイタリアに行ってしまったとのこと。なんでも4月から3ヶ月間ドイツにいて、2週間サルヴァドールに戻ったと思ったら、次はイタリアに3週間、その次はすでにカナダの予定が入っているそうです。

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 メストリ・ネネウ(メストリ・ビンバの息子)

 海外のワークショップで大忙し!
 ほとんど地元にいません。

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 プロフェッソーラ・ナウヴィーニャ
 (メストリ・ビンバの娘)

 サンバ・ジ・ホーダの先生
 メストリ・ビンバ基金【Fundacao Mestre Bimba】のイベントでは、
 いつもサンバのレッスンを担当します。






 幸いにも私たちがカポエイラ探検隊2006としてバイーアを訪れる10月ごろは帰国しているとのことなので、またゆっくり話もできると期待してます。ちなみにCDのほうは再び在庫切れでした。お待ちいただいていた皆さんには申し訳ないです・・・。こうなったら別のルートをあたってみます!
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by vadiacao | 2006-07-12 00:57 | その他・雑談

ビゾウロの命日に記念イベント

 忙しさにかまけて、ブログの更新も滞りがちです。こういう媒体は、とにかく発信し続けることに意義があるのは分かっているんですが、写真なんかを掲載しようと思うと、けっこう手間がかかるんですね。それでついつい後回しになってしまいます。今後は、あまりまとまったものを載せることにこだわらずに、旬のネタを新鮮なうちに話題として提供して行こうと思います。

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 サルヴァドールの友人からのメールによると、7月8日(土)に、かの伝説的カポエイラ、ビゾウロ・マンガンガーの命日を記念するイベントが行われたそうです。

 なんでも3台のバスでサルヴァドールを出発し、マラカンガーリャ(ビゾウロが暗殺されたところ)に向かい、その後、サント・アマロ(ビゾウロが生まれたところ)に移動して盛大なホーダが行われたとのことです。これにはメストリ・デカニオ、メストリ・ジョアン・ピケーノらも参加したそうです。

 その友人は「すべてをビデオに収めた」と言っているので、また機会があればぜひ見せてもらいたいと思っています。それにしてもよくよく考えてみると、特に社会的功績があるわけでもなく、別にカポエイラの普及に尽力したのでもない、ただ荒くれ者として名を馳せたカポエイリスタが、このように顕彰されるというのも妙なものがありますね。確かにビゾウロの正義感を主張するようなエピソードも残っていますが、かといって義賊というほどのものでもなかったわけで、世間から見ればただのトラブルメーカーだったに違いありません。

 ビゾウロについて詳しくは、「カポエイラ研究室」の記事「伝説のカポエイリスタ、ビゾウロは実在した!」を読んでくださいね。
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by vadiacao | 2006-07-11 00:20 | その他・雑談

『メストリ・ジョアン・ピケーノ カポエイラに捧げた人生』 3

カポエイラ、メストリ・パスチーニャとの出会い
 サルヴァドールに着いて土方の見習いをしていた頃、わしより年上の友人がおった。彼も見習いで、カンジドという名前じゃった。

 彼は仕事をしながら機嫌がいいと、酒を飲んでさらに陽気になって、サンバを歌ったり、カポエイラでふざけたりしたものじゃ。あるとき彼がアウーをしたので、わしがカベッサーダをしようと踏み込んだら、口に膝蹴りを食らったことがある。彼はわしの肩を叩きながら、「ごめんごめん、気にするなよ。今度カポエイラのホーダに連れて行ってやるから」と言った。

 カンジドには、バルボーザ(Barbosa)という洗礼親がいた。彼は荷物の運搬の仕事をしていて、ラルゴ・ドイス・ジ・ジューニョ(Largo Dois de Junho)の市場で働いておった。わしはそのバルボーザを訪ねていって、カポエイラを教えて欲しいと頼んだのじゃ。

 バルボーザはわしを見ながら、「カポエイラを習いたいのか?」と聞いた。

 わしは落ち着いて、「そうだ」と答えた。

 当時は道場なんてものはなかった。みんな、路上のホーダに参加しながら、あるいはホーダを取り仕切っているメストリに頼んで教えてもらったものじゃ。例えばコブリーニャ・ヴェルジ(Cobrinha Verde;ハファエル。ビゾウロのいとこ)のようなメストリにな。ハファエルはわしの親戚じゃったが、残念ながら父方の親戚をわしはほとんど知らなかった。サルヴァドールに出てきてから少しずつ知り合い始めた。

 日曜日の昼下がり、バルボーザは仲間を集めては、コブリーニャ・ヴェルジのホーダによく出かけたものじゃ。ホーダはシャミ・シャミ(Chame-Chame)という地区で行われておった。そこには大きなマンゴの木があって、その木の下でホーダをしていた。わしはバルボーザについて練習を始めておった。ある日、たしかカーニバルのときじゃったと思うが、カポエイラのホーダが行われていて、二人の紳士がジョーゴを始めた。そのうちの一人は見たことがあったが、名前までは知らなかった。

 ジョーゴを終えたあと、その一人が言った。「わしはこれ(カポエイラ)をまとめたい。そのためにここへ来たんだ。協力しようという者はビゴッジ(Bigode)に来て欲しい」。

 その人こそがメストリ・パスチーニャ(Mestre Pastinha)じゃった。ビゴッジというのはジャウマ・ドゥートラ(Djalma Dutra)にある地区の名前だ。その後、例の仲間で話し合って、今度の日曜日にビゴッジに行ってみようということになった。

 着いてみるとバイーアじゅうのカポエイリスタたちが集まっておった。バルボーザ、コブリーニャ・ヴェルジと何人かの生徒たち、トトーニョ・ジ・マレー(Totonho de Maré)、リヴィーノ(Livino)、ノローニャ(Noronha)といったメストリたちがの。

 さっそくわしもメンバーの一員になった。それは道場というものではなく、セントロ・エスポルチーヴォ・ジ・カポエイラ・アンゴラ(Centro Esportivo de Capoeira Angola)というひとつのグループじゃった。このグループはラルゴ・ド・タンキ(Largo do Tanque)のジェンジビーハ(Gengibirra)という地区でホーダを取り仕切っていたアモルジーニョ(Amordinho)という警察官から、メストリ・パスチーニャが譲り受けたものじゃった。

 アモルジーニョのホーダには、多くのカポエイリスタたちが集まっておった。なかにはパスチーニャの弟子のアベヘ(Aberrê)もいた。彼がいつも師匠のパスチーニャのことを話していたので、一度連れてきてみろということになったのじゃ。

 当時パスチーニャは、10年以上もカポエイラから遠ざかっておったので、最初ホーダには行きたがらなかった。しかし彼がホーダに現れたとき、アモルジーニョはパスチーニャにホーダの取り仕切りを任せたのじゃ。

 みんなが言った。「パスチーニャ、仕方がないよ。このカポエイラをまとめていくのは君しかいないよ」。それでメストリもやっと引き受けることを決めたのじゃ。承諾しながら彼が言った。「引き受けてもいいが、これからは単なるカポエイリスタの集まりではなく、セントロ・エスポルチーヴォ・ジ・カポエイラ・アンゴラとしてやっていこう」

 そこでわしも生徒として加わることになり、それ以降、二度とパスチーニャから離れることはなかった。1945年ごろのことじゃった。わしが一人暮らしをしておった頃、46年から47年にかけてパスチーニャはわしの家に住んだこともある。わしが彼のグループに入ってしばらくすると、師範代を任された。カポエイラについて知っているすべてのことは、パスチーニャから学んだといってもよい。

 67年か68年ごろ、すでにカポエイラをできなくなっていた彼はわしに言った。「ジョアン、後はお前に任せるよ。わしはじきに死ぬ。もっとも肉体は死んでも、魂は生き続けるがな。この世にカポエイラがある限り、わしの名前は決して忘れられることはないじゃろう」

 パスチーニャの道場はカポエイラ・アンゴラのものとしてはサルヴァドールで最初のものじゃった。彼の死後、わしはサント・アントニオ・アレィン・ド・カルモ(Santo Antônio Além do Carmo)の要塞あとに道場を作り、メストリの名前を継承して、ジョアン・ピケーノ・ジ・パスチーニャの道場と名づけた。ところでパスチーニャの道場には、もう一人ジョアンがいた。彼はわしより体が大きかったので、メストリは「よかろう、一人はジョアン・ピケーノ(小さいジョアン)で、もう一人はジョアン・グランジ(大きいジョアン)じゃ」と言い、わしらの歌まで作った。

 
Na minha academia
Eu tenho dois meninos
Todos os dois se chamam João
Um é cobra mansa
E o outro é gavião
Quando um anda pelos ares
O outro se enrosca pelo chão

わしの道場には
ふたりの生徒がいる
二人とも名前をジョアンという
一人は蛇で
もう一人は鷹
一方が空から来るかと思えば
他方は地を這って来る


 ジョアン・グランジをメストリのところへ連れて行ったのはわしじゃよ。彼はわしより若かった。その昔、路上で公然とカポエイラが行われることはほとんどなかった。道場がなかった時代は、倉庫や知り合いの家の前でジョーゴをしたものじゃ。

 路上でカポエイラが見られたのは、たとえばお祭りなどの特別の日じゃった。そういう日は広場などで自然にホーダが始まった。ドイス・ジ・ジューニョなどの祭りの日にはパスチーニャも生徒を引き連れてよく出かけていったものじゃよ。一方メストリ・ビンバ(Mestre Bimba)は、そういうところには決して出かけて行かなかった。彼らは路上でカポエイラをすることをよく思っていなかったのじゃ。

 カポエイラが禁止されていた時代もあるが、わしがパスチーニャの道場に入ったときは、すでに禁止は解かれておった。しかしまだまだカポエイラは抑圧の対象とされていた。今日でもそうじゃがの。だからカポエイラを練習するときは人目のつかぬ裏庭やメストリの家でドアを締め切って教えてもらったものじゃよ。

 パスチーニャから聞いたところによると、彼がカポエイラを始めたきっかけは、ナザレー(Nazaré)地区で、同じ通りに住んでいた少年とのけんかに負けたことだと言っておった。

 パスチーニャが買い物に行って家に帰る途中、その少年は決まってけんかを吹っかけてきては、買ったものを台無しにしようとした。パスチーニャはいつもやられてばかりじゃった。やはり同じ通りに住んでいたアフリカ出身の老人がその様子を見かねて、ある日パスチーニャを呼んだのじゃ。「おまえはあいつにはかなわないよ。あいつのほうが強いのじゃから。ちょっと来なさい。戦い方を教えてやろう」。そう言うと部屋へ連れて行き、いすで円を囲むと、その円の中で老人はパスチーニャにカポエイラを教え始めた。

 しばらくたって、パスチーニャの腕前が上がったのを見ると、「さぁ、もうあいつとケンカしても大丈夫じゃろう」と言った。

 ある日またパスチーニャが買い物から帰ってくる途中、いつものように少年が挑発にやってきた。「さぁ、さぁ、さぁ」。「さぁ、さぁ、がどうした?」とパスチーニャが答えた。少年は怒りだし、二人のけんかが始まった。パスチーニャは相手の攻撃をかわしながら、習ったカポエイラの技を繰り出した。

 少年の母親は、いつも少年がケンカするのを見ていたが、彼がけんかに勝つのを喜んでいて、止めることをしなかったという。この日、息子が不利なのを見ると窓から叫んだ。「さぁどうするんだい?彼に負けるのかい?」。結局少年は負けてしまい、二度とパスチーニャにけんかを仕掛けてくることもなくなった。

 カポエイラは、弱いものが強いものに勝つ格闘術なのじゃ。だからこそ今までずっと抑圧され続けてきたのじゃよ。今日ようやく社会に認められるようになってきた。とはいえ当のカポエイリスタの中にさえ、小・中学校、高校や大学でカポエイラが科目として取り入れられることに反対する者がおる。わしは大賛成じゃ。カポエイラがどんどん広まっていくのじゃからのう。

 カポエイラは実に奥深いもので、その中にはすべての要素が含まれておる。だれに依存することなく、あるがままの姿で社会的、経済的に確固たる地位を築いていけばよいのじゃ。
 カポエイラは肉体的にも精神的にも非常に有益なもののじゃ。体力、柔軟性など体を鍛えられるばかりでなく、いつまでも若さを保つことができる。

<つづく>
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by vadiacao | 2006-07-03 18:57 | カポエイラ全般


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