カポエイラ・ブログ -Roda de Papoeira- |
by vadiacao カテゴリ
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【訳出済み】
次回の単語テスト範囲は18ページの「A globalizacao da capoeira」から19ページの下から5行目「retornar para o Brasil」まで。 カポエイリスタたちが世界に出て行くことになったきっかけのひとつはフォルクローレ・ショーの遠征だった。メンバーの中にはグループから離れ、行き先の地に根を下ろすものもいた。 メストリ・ジェロン・ヴィエイラのケースもまさにそれだった。Viva Bahiaの一員としてヨーロッパ各地で一連の公演を行った後ロンドンに残り、最終的に1975年公演に訪れたニューヨークに根を下ろした。そこにはアメリカ合衆国におけるカポエイラ普及の先駆者であるロレミウ・マシャードがいた。1979年カポエイラは西海岸にも広がりを見せる。カリフォルニアにメストリ・アコルデオンが行ったことで、北米の両側をカバーすることになった。 さらに下って1990年メストリ・ジョアン・グランジが米国で最初のアンゴラの道場となるCapoeira Angola Centerをニューヨークのマンハッタンにオープンさせた。1994年にはメストリ・コブラ・マンサがメストリ・ヴァウミールとともにワシントンに(国際カポエイラ・アンゴラ連盟)FICAを設立した。 ヨーロッパで最初にカポエイラをもたらしたのはおそらくメストリ・ネストール・カポエイラだろう。グルーポ・センザーラで最上位の赤帯を取得したあと世界を旅することを決意し、1971年にロンドンを訪れた。そこであるダンススクールでカポエイラを教え始めた。メストリ・ネストールはブラジルに戻るまでの3年間ヨーロッパ各地を回りカポエイラを広めた。
by vadiacao
| 2010-07-04 21:02
| カポル語道場
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